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3月7日④

  • 2月15日
  • 読了時間: 7分

更新日:3月15日

廊下に出た私は、所在なく窓の外を見やる。小雨が降るなか立ち並ぶ木々には、異世界らしさが全く窺えない。想像していた異世界転生とのギャップに悩まされながら、私は傍らで浮遊するリンゴ型の生物に「りんご(仮称)」というあだ名をつけ、この体の持ち主が過ごしていた部屋へ案内してもらうことにした。


 * * * * * *


「――なんかさぁ。二人暮らしの家にしては、ちょっとドア多くない?」

 他の誰かが生活している気配など皆無の、静かな廊下。その壁に並ぶ扉を複数通過したあたりで、私は疑問を口にした。

「私や師匠(仮称)の他にも、ワンチャン誰か住んでたりする……?」

 目の前で浮遊するりんご(仮称)に問いかければ、くるりと私の方に顔を向け、ふるふると左右に振ってみせる。

「だよねぇ……そんな感じしないもんねぇ……」

 苦笑まじりに納得の言葉を返すと、りんご(仮称)は会話終了とばかりに、すぐに顔の向きを進行方向へと戻してしまう。

 ここに至るまでの間も、私は黙っていることができなかった。今はとにかく静寂が落ち着かないのだ。けれど私は、元々人に話を振るのが苦手だ。

「……えーっとぉ……今日、天気悪いね?」

 早くも話題が尽きてきた。ただでさえ広げにくい天気の話題を、目の前の喋らない相手に振ってみれば、当然のごとく沈黙が落ちる。

「異世界にも雨とか降るんだ? なんかこう、魔術で天気までいじっちゃうとか、ないの?」

  焦って矢継ぎ早に言葉を重ねれば、りんご(仮称)は緩慢な動作で私を一瞥しただけで、ふいっと前を向いてしまう。

 今の私は、相手の反応を意に介さず、しょうもない話題を延々と振り続ける存在だ。相当鬱陶しいだろう。

(ひえぇ……ごめんってぇ……! 今黙るの、落ち着かないんだよぉ……)

 心の中で嘆いたところで、りんご(仮称)が廊下の突き当たりまですっと移動し、扉の前で振り返った。

「……おっ。その部屋なんだ」

 私は安堵してそちらへ駆け寄る。すると、りんご(仮称)は扉の方へ顔を向けた。開けろ、と言っているかのようだ。


 憑依転生前の私は、自室にこもっていた人間だ。自分の部屋と呼べる空間に立ち入れば、少しは落ち着けるかもしれない。

 淡い期待を胸に、私は短く息を吸い、そっと扉を開ける。

「お邪魔しまぁ~す……」

 その瞬間、淡いピンクや白を基調とした可愛らしい空間が、目の前に広がる。

「ぅおっ……」

 決して嫌いではない。昔好きだった生活シミュレーションゲームで、こういう空間を作り上げたことはある。

 だが、実際に自分がそこへ住むとなると、話が変わってくる。

「……汚れひとつ無いじゃん。綺麗に使える自信、無いんだけど……」

 そろりと足を踏み入れたところで、最初に目についたのは――左手に置かれた机の中央に鎮座する、馴染み深い形状のモニターとキーボードだ。

「えぇ……がっつり実体あるじゃん……」

 魔術が存在するこの世界に、まさか我らが文明の利器――PCが置かれているとは。

「こういうのって、なんかこう……魔術で空中にディスプレイを表示する、とかじゃないんだ……」

 再び想像とのギャップを突きつけられながらも、今回ばかりは安堵が勝った。

 もし操作方法や動作が大きく変わらないのだとしたら、この謎だらけの世界で唯一の、心の拠り所になり得る。

 PCの周辺には、他にもいろいろなものが置いてある。

 例えば、ゲームのコントローラー。これもまた、私のよく知る形状と変わらない。丸いフレームの眼鏡。カラフルなキャンディか何かが詰まった瓶。マイク……は、何に使っていたのだろう。歌うのが好きだったのだろうか。


 しばらく机上を眺めていたが、ふと引き出しの存在に気づいた。元いた世界で言うところの保険証やパスポートなど、この子の身分を示す何かが、ひとつくらいはあるかもしれない。

 そう考えた私は、遠慮がちに引き出しを開けてみた。

「わっ……」

 そこに秩序は無かった。いや、一定の秩序があったところへ、後から乱雑に上書きしたような――私にとっても非常に心当たりのある、整理整頓が苦手な人間の引き出しだ。

 この体の持ち主に対して急に親近感を覚えながら、その中身を少しだけ掻き分けてみる。しっかり漁ってみれば何か出てくるのかもしれないが、他人の引き出しを覗くだけでも後ろめたいのに、そこまでする勇気が出なかったのだ。

 手始めに、引き出しの一角を覆っていた小さなノートを取り出す。もしそのノートがこの子の日記帳だとしたら、自分がどういう人物として生きていくことになるのか一発で分かるのかもしれないが、やはり「勝手に読むべきではない」という自制心に勝てず、引き出しの中を注視したまま机上にそっと置いた。

 ぱっと見たところ、身分証と思しきものは見当たらない。

「……まあ、鞄とか探させてもらった方が良いかぁ……」


 まだ古いものが奥にしまい込まれている可能性もあるが、やはりそこまで漁る勇気は無いので、早々に諦めて引き出しを閉めてしまった。

 そして何気なく机上に視線を戻したところで、置き去りにされたノートの存在に気づく。

「あっ! 危なっ、これもしまわなきゃ――あぁっ!」

 バサッ、と音が立つ。慌ててノートに触った結果、誤って床に落としてしまったのだ。それも、何かが書かれたページが開いた状態で。

「うわっ、ごめんなさ――」

 誰にともなく謝罪しながら、慌てて拾い上げようとした――次の瞬間。


「――ぅえぇぇっ!? 何これぇ!!」


 口をついて、若干太めの声が出た。同じ人物の名前と思われる文字が、多彩なデザインで書き連ねられていたのだ。

「えっ!? ヤバッ!! 呪いか何か!?」

 とんでもないものを見てしまった、やっぱり他人のノートなんて軽率に覗くものじゃない――ノートとにらめっこしたまま固まってしまった私の視界に、りんご(仮称)が飛び込んできた。私の顔と目の前の文字列とを交互に見ている。

「……何? なんか伝えようとしてんのは分かるけど……」

 物言わぬ小さな相棒の意図をなんとか推察しようと、りんご(仮称)の挙動を眺める。ノートに書き連ねられた文字列をつつくように体を動かした後、パッと私の方へ振り返る。その様子をしばらく眺めているうちに、やがてひとつの仮説に思い至った。


 これは、おそらく――この子が自分のサインを考えた痕跡なのではないか。


「ひえぇ……!」

 頭にその考えがよぎった途端、ひどく情けない声が漏れた。呪詛の類いではなかったという安堵と引き換えに、強烈な共感性羞恥が襲ってくる。

 もしこの場に本人がいたら、どんな反応をするだろう。慌ててノートを奪い取るだろうか。少なくとも、私だったらそうする。けれど、もしかしたら感想を求めてくるのかもしれないし、気に入ったサインを誇らしげに教えてくれる可能性もある。この身体の持ち主は、どういうタイプの子だったんだろう――。

「……あー、違う」

 そう独り言ちて、共感性羞恥から逃れようと逸れた思考を、目の前の文字列に引き戻す。

 これがもし本当にこの子自身のサイン案だとしたら、自分の名前を知るための重要な手がかりだ。

 私は意を決してノートを拾い上げると、改めて机上でそのページを開き、書かれている文字をひとつずつ目で追い始めた。

「『みな』、『ミナ』……これがいちばん多く書いてあるな。師匠(仮称)も『ミナとか言っていた気もする』っつってたし、やっぱこの子の名前は『みな』ちゃんなんだろうな~……」

 ひとりで納得しながら、視線を下へ滑らせる。

「おっ、こっちは苗字つきだ。『恋毒(こいどく)』……みな? ……読み方合ってる……?」

 音楽ゲームで失敗した時みたいに首を傾げながら、さらに別の文字列へと視線を移す。

「あ、この辺にローマ字版もあるじゃん……へーっ、“Kodoku Mina”! なるほどね、『恋毒(これ)』で『こどく』って読むんだ~!」


 恋毒(こどく)みな――それが、私の第二の人生に与えられた名前らしい。


 精神的ダメージと引き換えに求めていた情報を入手した私は、呪物と呼んでも過言ではないノートをそっと閉じ、元あった場所にしまい込んだ。

 入手経路に関しては想定外だったけれど、知れて良かったとは思う。ただ、この引き出しを開けることは、もう無いだろう。

 深く息をつきながら、私は師匠(仮称)と会話していた時にも感じた違和感に、改めて思いを馳せる。

「……やっぱ、めっちゃ日本語だなぁ……」

 ひらがな、カタカナ、そして漢字。ローマ字による表記も含めて、あのページに書かれていた文字は、あまりにも馴染み深いものだった。

 窓の外に立ち並ぶ木々といい、言語体系といい――もし魔術やりんご(仮称)の存在を最初に見ていなかったら、ここが異世界だなんて認識できなかっただろう。その上、私自身は魔術の使い方すら分からない。


 私の憑依転生系異世界デビューは、それはもう夢の無い現実と、強烈な負の感情を突きつけられる形で、強制的な幕開けを迎えた。

 
 
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