3月7日②
- 2025年9月30日
- 読了時間: 7分
眠っていたらしい私を見守っていたのは、RPGの魔法職を思わせる風貌の老人と、ガイコツみたいな顔をしたリンゴ型の生物。状況を整理すると、どうやら私は憑依転生したようだ。当然のように魔術が存在する世界で、私の第二の人生が始まり――そして、早くも終わりを告げようとしている。
* * * * * * * * * * * * * * *
私の前へ立ち塞がるように小さな羽を広げる、ガイコツみたいな顔をしたリンゴ型の生物。それと対峙する魔術師の老人は、杖をこちらに向けたまま、苛立った様子でその生物に呼びかける。
「どけ。私は一刻も早く研究に戻りたい」
研究? この老人は学者とか科学者とか、そういう類の人なのだろうか。何を研究しているんだろう。
というか今更ではあるが、この老人はさっきからずっと日本語を話している。例えば“私の中で日本語に変換されているだけ”とか、そういう話でもなさそうだ。だって、ついさっき私自身が発したのも間違いなく日本語だったし、それで問題なく会話できていた。
そうなると、状況的に憑依転生と見て間違いなさそうではあるが、これが異世界かと言われると確証が持てない。いや、でも魔術なんて――。
「お前の転移魔術は使い勝手がいい。だから生かしておいただけだ。ここで邪魔をするのなら、お前も――」
老人の不穏な発言に、ハッと我に返る。今は余計な思考にリソースを割いている場合ではない。私を庇ってくれている存在が危ない――というか、もし再び爆発を起こすつもりなら、規模はどうあれ私も危ない。
正直なところ、ほんの少し前までは、あまり積極的に生きていたいと思っていなかった。けれど、きっと多分、これは異世界転生だ。
憑依系とはいえ、せっかくの異世界デビュー。神様からチート能力を授かって――とか、そんな記憶は無いけれど。何者でもない、何も持っていない私が、無条件に輝けるチャンスだ。
だって、異世界転生ってそういうものじゃないか。
それをこんな序盤で打ち切られるなんて、そんなことあっていいはずがない。
「あのっ!」
意を決して、リンゴみたいな生物の下から顔を出す。
「私は……この子の体に入ったのは、魔術のない世界で暮らしていた人間の魂です!」
「……ほう?」
老人は視線だけを向けてくる。睨まれているようで、思わず怯んでしまう。
「荒唐無稽な話ではあるが……気を惹くための嘘にしては、発想が飛躍しているな。魔術もなしに生活が成り立つなど、想像もつかない」
「!」
こちらに向けられていた杖の照準が、少しずれた。少なからず、興味を持ってもらえたようだ。もう一押しで生き延びられるかもしれない。
「私だって、さっきこの目で見るまで、魔術なんて信じていませんでした! それで、えーと……このまま私を生かしてもらって、元の世界との違いが分かってくれば、この世界に無い知識や技術をお伝えできるかもしれません! まだこの世界に何があるかとか、魔術で何ができるかとか分かんないんで、今すぐにとはいかないですけど……そうだ、どんな暮らしをしてたかってことなら、今からでもお話しできます!」
正直、将来的にお伝えできるような知識や技術には一切心当たりがない。けれど、今この場面を切り抜けるには、研究ジャンキーっぽいこの人の知識欲を刺激するしかない。少なくとも、今の私にはそれくらいしか思いつかない。
「………………」
「……ど、どうですか……? 興味深いと思いませんか?」
感情の読めない表情で黙り込んでしまった老人に、おずおずと尋ねる。すると、左手で構えていた杖が、ゆっくり下ろされていく。
「……まあ、そうだな。この世界や魔術に対する知識が無い点は不便だが……たまに命じる修行にさえ応じるなら、いいだろう」
「えっ」
修行? 何だそれは。どれくらいの頻度で、何を命じられるというのだろう。
思わず嫌そうな声が出てしまったが、老人の杖は右手に持ち替えられ、今や“武器”から“身体を支えるための道具”へと役割を変えている。また武器として振るわれるのが恐ろしくて、慌てて取り繕う。
「あ~……ありがとうございますっ! 可能な限りお応えします! それじゃあ、えーっと……お礼と言っては何ですが、さっそく元いた世界のお話でも――」
「いい。私は研究に戻る」
「えぇっ?」
その話をするという約束で命拾いした、という認識でいたから、断られるとは思っておらず拍子抜けしてしまう。けれど、話がつまらないとか言って攻撃されても困るから、かえって助かった。
老人は宣言通り研究に戻るつもりらしく、少し離れた位置にある机に向かうと、何か器具を触り始めた。声を掛けるのは躊躇われるが、まだ訊きたいことは山のようにある。
「あのー、ちなみにこの子の……私の名前は……?」
おそるおそる尋ねると、老人はこちらを一瞥もせずに答える。
「ミナ……とか言っていた気もするが、正確に覚えていない」
「覚えてないぃ!?」
驚きのあまり、思ったより大きな声が出た。老人はうるさそうに顔をしかめてこちらを睨んだが、構わず疑問をぶつけてしまう。
「えっ……この子、あなたのお孫さんか何かじゃないんですか?」
「ただの弟子だ。そいつの使う魔術も、まあ便利だったからな」
「は、はあ……」
だとしても、名前も覚えていないなんて――と抗議したくなったが、その気持ちをぐっとこらえる。「ただの」と言っているあたり、この子の名前を覚える気も呼ぶ機会も無かったのかと邪推してしまうが、もしかしたら年齢的な要因の可能性だってある。
「名前のひとつくらい、部屋でも漁れば分かるだろう。集中したいから、さっさと出ていけ」
私が納得したと思ったのか、早々に話を切り上げられそうになったので、慌てて声を上げる。
「えっ。も、もうひとつだけ……! あなたのお名前はっ?」
「質問が多い。好きなように呼べ」
「えぇ~……」
かなり癖の強い人物ではあるが、これから一緒に暮らす相手でもあり、恩人と言うべき存在でもある。名前くらい知っておきたかったが、当の本人は答えになっていない返事をしたきり、よく分からない作業に没頭し始めてしまった。
「……えー、っとぉ……。……失礼しましたぁ……」
これ以上食い下がるのが怖かった私は、小さな声でそう言って、しぶしぶ部屋を後にする。
狭い廊下に出たはいいが、この家の構造を全く把握していない。今になって思えば、追い出されそうになった時点で、この子の部屋がどこにあるのかを尋ねるべきだった。
木製の扉にもたれかかれば、無意識のうちに深い溜息が口から漏れる。この子は弟子だと言っていたから、まあ仮称として、あの人のことは師匠とでも呼ぶことにしようかな――そんなことを考えながら途方に暮れていると、何も無かった目の前の空間で、突然何かが光を発した。
「ぉわぁっ!?」
驚いて声を上げた私の目の前に、あのリンゴみたいな生物と、赤い宝玉のついた杖が現れる。両手を出して咄嗟に杖を掴んだのとほぼ同時に、頭に何か軽いものが載ったのを感じた。何だろうと手に取ってみれば、自分が着ている服と同じような色味で、師匠(仮称)がかぶっていたのと似たような形状の、小さな帽子だった。
「……あぁ……これ、私の杖と帽子かぁ……」
そんな独り言と共に帽子を頭へ戻しながら、リンゴ型の生物へと視線を移す。小さな羽をゆったりと上下に動かしながら浮遊する様子を見るに、どうやら羽を使って飛んでいるわけではないらしい。これも魔術の類だろうかと考えたとき、師匠(仮称)がこの生物に向かって「お前の転移魔術」と言っていたのを思い出す。
「あ~……なるほどね。これ、届けてくれたんだ。ありがとう」
そう言って杖を掲げてみせれば、ガイコツみたいな顔が一瞬だけ下に向き、それに伴って体の位置も少し沈んだ。頷いたように見えた。今のところ鳴き声も言葉も発していないが、少なくとも言葉を理解することはできるようだ。
自分の中で納得すると、今度は手にした杖の方に注意が逸れる。杖、帽子、そしてあの師匠(仮称)の弟子という立場。察するに、この体の持ち主も魔術師なんだろう。だとしたら、私にも何か魔術が使えるはずだ。
試しに、杖を握る手に力を込めてみる。けれど、何も起こらない。
体の中心に意識を集中させるとか、使いたい魔術のイメージを頭の中に思い描くとか、思い浮かぶ限りのことを試してみる。けれど、やっぱり何も起こらない。
憑依系とはいえ、せっかくの異世界デビュー。神様からチート能力を授かって――とか、そんな記憶は無いけれど。何者でもない、何も持っていない私が、無条件に輝けるチャンス――の、はず。
だって、異世界転生ってそういうもの――という考えは、間違っているのだろうか。
魔術って、何をどうすれば発動するんだろう。
この状態から、何をどうやって無双するんだろう。
悲しいかな、今の私には、そんな展開は全く見えてこなかった。